Mダックス らん&アレン と 子どもたち

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~黙祷~ ヒロシマに平和の祈りを

ただいま8月6日8時15分です。(時間ぴったりの予約投稿です)
私達家族は、毎年この時間には、ヒロシマの平和宣言を見ながら、ヒロシマの方角を向いて1分間の黙とうを
捧げています。
子ども達には、『昔のことだけど、私達が住んでいた広島で、今この時間に大きな爆弾が落ちて、
        それはたくさんの尊い命が一瞬にして無くなってしまったのよ。
        私達の平和は、たくさんの犠牲の上に成り立っているのよ。
        だから、特に同じ広島に生まれた私達は、このことを忘れてはいけないし、
        平和を祈り、二度とあやまちは繰り返しませんから、ゆっくり眠ってくださいと
        黙祷をみんなで捧げているのよ。』 と話をしてから、平和の祈りを捧げています。

66年前の今日、8月6日8時15分 ヒロシマに原爆が投下されました。
祖母は入市被ばく者ですが、当時の混乱の中で証人となる第三者を見つけることが難しく、5年前に申請は却下されました。
今年、祖母は90歳を超えたため、代筆者として協力し、最後の申請にチャレンジをしようとしているところです。

300px-20100722_Hiroshima_Genbaku_Dome_4461.jpg   300px-Atomic_cloud_over_Hiroshima.jpg

当時、祖母は幼い叔父・叔母とともに東広島に疎開をしていました。
しかし、祖母の夫と義父母は広島市の自宅にいたため、心配で原爆投下の翌日に幼い子供達を連れて入市したのです。

幼い子供達を連れての道のりは、気が遠くなるほどの時間がかかり、途中、水水と言いながら川に飛び込む人
顔や体から何かが垂れさがり、お化けのように彷徨う人達、その悪臭は凄まじく、まるで地獄絵図だったそうです。
幸い、自宅は半壊状態で、夫達は、真っ黒な顔をして鼻血を出していましたが、無事だったそうです。
しかし、夫はその半年後に原爆症で亡くなり、夫の死をきっかけに、子ども達と引き離されることになりました。

その後、現在の私の母の父と再婚し、あの時の子ども達が大きくなってから、交流が再び始まりました。

原爆によって夫を失い、子ども達の成長を見守ることもできず、かけがえのない時間を失っているにも関わらず、
手帳の取得が難しい現状と、被爆者に対する差別を受けないよう、手帳の申請をしないで過ごしてきた方も
おられ、欲しくても貰えない人の気持ちを、国はもっと考えて欲しいと思います。

このあやまちを世界のどこかで二度と繰り返さないためにも、歴史を風化させないためにも、直爆・入市問わず
原爆の体験者の存在を大切に、世界の平和を願う国であってほしいと思います。

3日後の長崎も合わせて、被ばく死没者のご冥福をお祈りし、また、世界の平和を願って、黙祷。。。
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